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ちいちゃんのかげおくり

あまんきみこ

○教材について

この教材はもう少し上の学年でしっかりと読ませたいといつも思う。三年生にはやや難しい感があるが、教材としての完成度は極めて高い。ストーリー性、「かげおくり」というキーワードが登場人物や場面によって意味合いを変えていく点や何十年後のことが示されているエピローグなど学習のポイントが豊富に存在している。それだけにしっかりと読み深めたい教材でもある。


○「かげおくり」の意味の変化を追う

かげおくりが話の展開に沿って様々な意味合いを持つ。その意味合いの変化を追うことでストーリーを把握させる学習を構想すると、その出発点は、題名読みにある。話自体はおそらく題名からは推論できないけれども、ちいちゃんという登場人物のイメージ化とかげおくりに目を向けさせる機会にはなる。冒頭部分でも戦争という状況は出てくるのであるが歴史的に理解させる必要はなく、家族が失われちいちゃんも死んでいくという事実から逆に戦争というものへと概念化したい。それはさておき、最初の場面では家族でかげおくりをする描写が続くがこの場面でのかげおくりの意味として押さえておきたいのは、これが写真の代わりであるということと記念写真という言葉の記念という表現の意味だろう。 また「空」という場所がこの教材では非常に重要な役割を果たしているので一度最後まで読み終えた後にもう一度かげおくりと関係づけて押さえたい。

つぎに最後の死の場面でのかげおくりの意味を押さえたい。ここではかげおくりをするという行為自体が、ちいちゃんの死んでいくことと重なっていることをしっかりと押さえる。その際に、先ほど指摘した「空」との関係を意識させながら「小さな女の子の命が、空にきえました」という表現に迫りたい。空に命が消えるとはどういうことかということに目を向けさせながら、家族のもとに旅立った幼い少女の死を生み出す戦争について考えさせる展開で締めくくる。

○戦争ではなく家族のつながりへ

小学校の平和教材の初めをどこの学年に置くかは非常に悩むところである。四年生には一つの花があるし、高学年にも適切な教材は置ける。歴史的な知識を身につけてからだと中学校からでも遅くはない。

この教材のテーマをどう考えるかということはこの教材をどのように学習させるのかという点と他の教材以上に深く結びついている。「命」の尊さに置く学習でも構わないし、家族の絆に置く学習でもやれそうな気がする。こういった学習の場合には適切な投げ込み教材と重ねて読ませる学習を置くだろうが、いずれにせよ、私はこの教材を扱う場合にはできるだけ戦争へと目を向けるのではない方向を考えたい。

それは現在の学習者の置かれている状況の中で、家族のこれほどに強い心の絆を持つ家庭がどれほどあるだろうかと疑問に思うからである。親子や兄弟で殺し合う事件が増加し、家族自体が崩壊している現状がある中で純粋に戦争という状況が劣悪な状況であるということを指摘することはできないかもしれないと思うからである。

ちいちゃんは死んだけれど、みんなの所へいけたから幸せだという感想に対して批判的に向きあってきた私も、現在の学習者から同じような感想が多く出されることを批判するつもりはない。ちいちゃんがうらやましい。みんなに愛されているからという感想も出てくる現在、この教材に触れることで多くの学習者に家族というものを意識する機会を与えたい。それは、失われている家族の改善ではなく、彼らが大人になって新しい家族を作り上げていく際のモデルイメージとして何らかの痕跡を残しておきたいと祈るからである。

○エピローグをどう扱うか

きらきらわらうという表現をいいなあと思いつつ、最後の場面からエピローグまで眺めていると、これをどう扱うか悩み始める。あまんさんの意図はよくわかるのだが、学習者にどう読ませようかと思うと難しくなる。学習者の遊んでいる公園でも何十年前にこうした少女が死んでいったのだということを意識させることが果たしてこの教材の学習を締めくくる方法として良いか悪いかという問題になる。だから私はこの最後の部分をあえて流して扱うことにしている。ただ、「ちいちゃんが一人でかげおくりをした」という表現は学習者にも目を向けさせるが、これはこの前の部分との関係であって、このエピローグ自体の意味とは関係がない。ただ、「空」と「地面」との違いは考えさせるかもしれない。

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