一つの花
今西 祐行
○教材について
戦争教材として扱う方法もあるし、家族の結びつきに焦点を当ててしっかり読解させることもできる定番教材だ。古くから扱われている教材だけに、現代の子どもたちがこの教材をどのように読むのかと言うことには非常に興味が湧く。ゆみ子の人物像をどう読むのか?わがままな子だという小学生が増えているように思いながらも、実はここに描かれている家族の絆の強さなどは現代社会にはちょっと見られないものでもあり、ゆみ子に変に同情させて物語を読み込ませていくことに躊躇するときもある。 会話文に目を向けて言葉として表現されていない登場人物それぞれがそれぞれを思う気持ちを推論させる学習を核に据えるならば、そろそろ視点について学習することも考えていいだろう。
○背景をどう入れるか
小学校四年生に戦時中の貧しさやひもじさを説明しても今ひとつ実感が湧かない。栄養の偏りやジャンクフード漬けの食生活とはレベルの違うことだからだ。冒頭の説明でもキャラメルやチョコレート、お饅頭などが例示されながら当時の様子が説明されているが、お饅頭やキャラメルが意味するものが現代社会では大きく異なるので戦後まだ貧しかった昭和40年代の子どもたちの受け止め方とは大きく異なることは自覚していなければならない。何しろ戦争の中継がテレビから毎日のように流れてくる中で生活している現代の子どもたちにとって「戦争」という言葉の意味するところも大きく異なっている。
物語を読む約束として、背景はそのまま受け入れてストーリーに入るという方向性もこの教材では使えそうにないので、やはり何らかの形で当時の状況を理解させるかイメージを持たせる科しなければならない。かつては、おじいさんやおばあさんに聞いてみようなどと言う学習も可能だったが現代ではそれも不可能に近いので、あえてもう少し状況の分かる教材と重ね読みすることで導入に変えることを考える。
三年生で学習した「ちいちゃんのかげおくり」を使うことも考えられるが、ひもじさや貧しさなどは重なってこない。難しいけれども、米倉斉加年の「大人になれなかった弟たちに・・・」を使うかもしれない。
○会話文に溶け込む登場人物の心情
読解学習のポイントは、やはり会話文から登場人物の心情を読み解くことにある。誰が誰に向けて発した言葉かという点に加え、誰のどのような様子を見て発した言葉かということも考える観点として明確にしながら、作品の展開に沿って会話文から心情を読み取らせる。
意外にも母親や父親の発言からそこに含まれる心情を推論することは簡単で、むしろゆみ子の発言から、つまり「一つだけちょうだい」からゆみ子の心情を推論することの方が難しい。つまり、最も難しいのは学習者にゆみ子と同化した読みを形成させることなのである。
発問を打っても異化するだけなので、あまり分析的に進めすぎると同化できなくなってしまうだけだ。 そこでゆみ子の人物像を確定しながら、幼さや無垢さへと展開してしまうのだが、やはりわがままな姿に映ってしまうことを回避することはできない。
そこで私なんかはこの学習をあえてはずした展開をする。つまり「一つだけちょうだい」という表現からゆみ子の心情を推論させない。このことばを理解するプロセスには父親や母親がこのことばを聞いてどのように思ったのかという点を推論する学習だけ残していく。だから基本的にはゆみ子の人物像は確定せずに学習を進めていくことになるが、そうした学習過程を考えなければならないくらい現代の学習者からこの教材は離れてしまっていると思う。
○戦争後のゆみ子は本当に幸せか、という課題について
最近上に挙げた課題で授業を締めくくる実践をいくつか目にした。これはこれで意味深い課題だと思うし、四年生だから半額州から集団討論やディベートまで展開するくらいクラスづくりができているかを試す試金石にもなる。 この課題の問題は、結論が出ないことにある。というよりか、教師の意図する方向性次第で結論が左右してしまうことにある。戦争教材として読ませる方向性だと、戦後の方がひもじい思いもしないでいいし空襲の音はミシンの音になっているし、父親のくれたコスモスはたくさん咲いているので、明らかにゆみ子は幸せになっていると学習者は結論づける。
これに対して家族の絆に目を向ける方向性で読解学習を行った場合には、一見幸せそうに見えるゆみ子だが実は自分をあれほど愛してくれた父親が居ないことが最も不幸なことだからやはり幸せではないという結論が出てくる。 理想的には、両者の間で討論ができればいいのだけれども、どちらかの読みを一人で形成できる学習者がいればいいが早々四年生ではいないと考える方がよい。教材の記述に従う読みを残す形で行くならば、後者の方を教師が提示して学習者と教師で意見の交流を行うこともできるが、教師の権力構造に巻き込まれてしまう年齢だけにイーブンでやりとりすることができるのは初任者のクラスくらいなものだ。 かつては父親の死について扱うことで締めくくっていたこの教材の学習も、テレビドラマに慣れている現代の学習者は血とやが死んでしまったことくらい容易に推論してくる。ゆえにこういった難しい課題で学習を締めくくるようになってくるのだが、話し合いやディベートの形を取らずに教師から後者を提示して深く考えさせるくらいでとめておくのがいいと思う。
今西 祐行
今西 祐行
辻 恵子