ごんぎつね

新美 南吉

○教材について

これまでに多くの実践が積み重ねられてきた定番教材である。故にほとんどのアプローチはこれまでに行われてきた実践記録に収録されている。

そういったこれまでの実践を踏まえてみるだけでも授業の構想に大きく広がりが生まれる教材である。今回の光村教科書の扱い方はこれまでの扱い方と異なり、かなり学習者の学習計画を促しているので、教材の古さよりも学習方法の新しさをねらいとしているように思う。

○学習方法を選択させる学習

学習者に学習自体の理解を持たせることは、中学校の教科書などでもすでに行われてきたことである。今、何のために何をどこまで学習するかを理解して学習に臨むことで確かに学習効果が向上する。

教材と学習者の関係をどのように取り結ぶかという点に絞って話をすると、これまでの読解学習では教師の発問や指示によって、学習者は教材との関係を結んできたわけであるから、学習方法をこれまでに学んだことを生かして選択させることは、自分と教材との関係の結び方を選択させることになる。教科書に例示されている学習方法ハヤや言語活動に偏っている気もするが、それはこれまでの読解学習一辺倒の教材との関係の結び方を意識したものだと考える。もう少し読み方自体のバリエーションまで示せるといいのだが四年生にはさすがに難しいのだろうか。

例えば時系列で図式化してみるとか、人物像を対比的に捉えてみるとかいった読むことで教材との関係を取り結ぶ選択肢も欲しいと思う。

○詳細な読解なしでどこまで教材に迫らせるか?

音読したり、作文を作ることで、この教材の理解が読解学習の時よりも深められるかという問いはよく聞く。確かに不安に感じる。浅い教材理解のまま言語活動に入ると思うから不安になるのであって、活動を先に置いて、そこから教材理解のための交流をしていく展開を仕掛ける。学習者の発表に教師がかなり積極的に関わりながらポイントを絞って読みの学習を置いていく。やはり最低でも次の点に関しては共通理解を持っておきたい。

  1. 場面設定と物語が展開する状況の理解

  2. ゴンと兵十の人物像の把握と互いに孤独であるという共通性の理解

  3. 人間と動物の関係性の問題

  4. 最後の場面の読みとりと理解


○ディスコミュニケーションの状況と推論する心

いうまでもなく人間と動物のコミュニケーションは基本的に成立しない。そう考えるとこの話も一つのディスコミュニケーションが生みだした悲劇である。兵十の母親が死んでから、ゴンは、状況認識を深めていく努力を払いながら兵十の心を推論し続け、その心を癒そうと努力する。このあたりが物語り独特の人間性の高い動物の人物像なのではあるが、一方で兵十はそういった努力をしない。被害者なのだという意識が高いのでそれは仕方のないことではあるのだが、孤独になった兵十は閉鎖的な方向でしかものを考えようとしない。  最後の場面でゴンの死をもって初めてコミュニケーションが成立するとき、一体兵十は何を思ったのだろうか。この点はやはりどのような学習を組織したとしても学習者には考えさせたい点であろう。

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